今回は自分が考えたことの覚え書きみたいなものです。
私自身情弱で、人に対してもよく怯えたり不安になったりが多く、認知の歪みも多分にあると思います。
生活する中で関わる人の中にも「苦手」に感じる人はいますが、ちょっと前までは「苦手」を感じている事にさえ気付けませんでした。
自分は何が嫌なのか、が分からなくなると危ういです。
本来ならば嫌なことを避けるか、逃げるか、対策をするかして自分を守らなければならないのに、嫌なことを無防備に全部浴びていなければならない。
「苦手」だと思っている人に嫌なことを言われても、相手を否定したり自分なりの言い分を持つことが出来なくなって、訳も分からないままストレスだけ抱え込んでしまいます。
よく分からないけどイライラする、落ち着かず眠れない、物音や話し声に神経を逆撫でされる…。そういうことがよくありました。
それで何となく、どうしたら楽になれるのかを少しずつ考えて、「嫌なものは嫌と自覚する」ところから始めました。何が原因になって落ち込むのかを発見しようと。
あまり自分のことをお話しするのは恥ずかしいですが、以前は職場で嫌な言い方をされたときも、事実に関わらず、不安や恐怖に囚われて「自分だけが悪いのだ」という思いばかりで、「嫌な言い方をされて怒りを感じた」ことに関しては完全にスルーでした。というかその怒りに気づいていませんでした。(分かりにくい心理かもしれませんが…)
本当に少しずつ、自分が何に「苦手」を感じているのか探るようになって、分かるようになって…。そうすると自分を自分で慰めたりすることは出来るようになるのですが、「私はこの人が嫌なんだ!言い方が苦手なんだ!」と意識しすぎていても、なんだかバランスが取れなくて…。
「苦手」といったって極悪人ではあるまいし、その人のちょっと良い所とかを見ると「私、酷いこと思っちゃってる…」とかも思ってしまうのです。
黒白思考、っていうんですかね、クロかシロか、敵か味方か…。
そういう区別をするのも居心地が悪くて、というか、本当はそんな簡単に人のことを嫌えないようで、「苦手」な人のことをどう捉えたらいいか判じかねていました。
「苦手」だと構えていなければ、嫌なことを言われた時にこたえる…、「本当は良い人」と力を抜いていたら、何か言われた時に余計に嫌になる…。
そういうモヤモヤから、また少しずつ、「良い所も悪い所も、両方確かにその人の中に存在している」と考えるようになりました。
それが、カットされた宝石みたいだなーとイメージしました。
三角形、四角形、色んな形の色んな大きさの面があって、一つのものに出来上がっている。
嫌な部分が大きい面積で存在しているにしろ、良い面もどこかに確かにある。両方ある。
見る人の角度によっては強く反射し、攻撃するのかも…。
そのイメージが頭に浮かんでからは、余計な力が抜けて、何か嫌なことを言われても「この人はそういう“面”もあるからね」と自然に思えるようになりました。
考えてみると、宝石って全部個性があるし、違うからみんな思い思いに好きな宝石を選んでいける。
ツヤのある光輝く石も、控えめで主張しない石も、黒い石も、色とりどりの石も、色々ある。
それぞれの宝石が活躍する場面というのもきっとありますよね。
人を宝石のイメージに繋げると面白いなあと、思ったお話しでした。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。